人に興味を。
最近よく感じるのが人に興味がない人が多いということ。
そもそもうちの会社には育成のマニュアルがない。
なぜなら、みんな一人一人違うし、同じ型にハメることなどできないから。
10人いれば10通り、100人いれば100通りの考え方、やり方、性格がある。
どんなにいい話でも、説法でも、刺さる人、刺さらない人がいるのは当たり前。
つまり一人一人に興味を持ち、じっくり観察し、それぞれどうやって育成していくかはそれぞれ違う。
だからマニュアルがないのである。
だから人に興味がないと当然育成などできない。
無理矢理に型にハメようとすると、同じような人間の大量生産につながるか、人間の個性が潰れるか、人間そのものが潰されてしまうか、である。
ちょっと残念なこんな話があった。
会社で講話があった。
すると育成担当者が、質問する人、質問事項は事前に3人で決めています、と。
内容も事前にチェックしてます、と。
ん???
話の内容聞く前から、講話者の人柄を知る前から、質問内容まで決めてるって…。
その人に失礼じゃないかい?
育成担当者は、質問がないことがもっと失礼だと思い、用意周到に粗相の無いように考えたのだろうが…。
その人が質問したくなるぐらい魅力ある話、内容、人間であれば、自ずと質問は出るはず。
もっと講話者の話に耳を傾け、講話者自体に興味を持って接し、話を聞こうよ…。
この育成担当者に育てられた若者はやはり同じように育つのだろう。
仕事の現場でもこの手の話はよくある。
仕事ができても、お客様の趣味すら知らない。
何年も一緒に働いている同僚のこともよくわかってない。
人への興味、愛がないと、仕事それだけである。
立場変われば、はい、さようなら…。
人それぞれの価値観、どうやろうがいいとは思う。
しかし、人は1人では生きていけない。
まさに今この瞬間も誰かのおかげで今がある。
産んでくれた両親をはじめとして、命を捧げてくれて生かしてくれる命まで、あらゆるものに我々は生かされている。
1人では絶対に生きていけないし、他人に関わらない人生を送ることなど不可能だ。
そんな中で、自分しか見ず、人への興味を持たずに、本当に幸せな人生を送ることなどできるはずがない。
人への興味は愛情の印ともいえる。
愛だろ、愛!